Out of Far East

東アジアの文化歴史の個人的覚書

『偉大なる道』にまつわる名前いろいろ

アグネス・スメドレーの『偉大なる道』は朱徳の波乱万丈の半生だけでなく、中国の封建社会での農民の暮らしぶりが細かい所まで書かれている。

中国とベルギー人とのユーラシアンだった作家ハン・スーインは朱徳と同じ四川省の生まれだが、何代も前から読書人階級として暮らしてきた一族なので、彼女の自伝では特権階級の暮らしぶりが書かれている所が興味深かった。

それに比べると、朱徳の生まれた家の暮らしのつつましさには驚くことが多かった。

 

この本は中国だけでなく東アジアの封建社会での民衆の習俗を考える材料も提供してくれた感じがする。

 

たとえば、男子の名前について考えてみると……。

 

現在の韓国では、一族の男子の世代ごとに行列字を設定して名前の一字に使い、どの世代に属する人間かわかるようにする慣習を残していることが少なくない。

この行列字は十数世代分が決められているので次の世代はどの漢字になるかはわかっている。

干支の漢字の並びのように伝わっていると考えている。

ただ、現在の韓国では実際のところはどの程度の割合になるのは私はわからない。

 

韓国の前大統領朴槿恵氏の父親の元大統領朴正煕の名前は正か煕という漢字が行列字になる。

今までの見識では、行列字は必ずしも最初の漢字とは決まっていないようだ。
仮に正という漢字が行列字とすれば、朴正煕の同じ派に属する一族で従兄弟を含めた横広がりの同世代の男子は朴正◯という名前になっているはずだ。

そうなるとただでさへ「朴、金、李」という姓が多いのに、さらに行列字で名前の一文字が決められてしまうと、韓国は男子については同姓同名が多く存在する社会になる。

実際、族譜をぺらぺらめくっていたときにも同姓同名を目にすることが多かった。

たまに日本でも全く同じ名前の人が存在することはあるが、韓国のほうがはるかに多いという実感をもっている。

 

ただ、はっきり言えることは、行列字が厳格に保持されている一族であるからといって、日本語の「名門」に似た雰囲気を必ずしも感じ取る必要はない。

 

作家ハン・スーインの生まれた家は何代も前から商売に成功し、息子たちは学問を身に付け、一族のものは労働をする必要がなかった。

家の中の雑用は使用人がするので、女たちも日中から卓を囲んで麻雀をするなど家事労働を一切しなくても生活はまわっていったという。

 

この作家の自伝を読んでいたときに、韓国の行列字に相当するものがさりげなく書かれている箇所があり感動した覚えがある。

韓国での行列字に相当するものを中国では輩字と呼ぶらしい。

別の呼び方もあるかも知れない。

当然これは中国大陸から朝鮮半島に伝わったものだろう。

ハン・スーインは一族を語るときに、曽祖父の世代から父親の世代の輩字について、家族を語る必要な情報として何のてらいもなく紹介していた。

 

個人的に韓国の行列字は身近に感じて調べたことがあるので、「あ、一緒だわ」なんて思いながらこのあたりはすーっと入っていけた。

ハン・スーインの家は特権階級なので、輩字や行列字を保持してきた一族は名門であることの条件の一つかなと密かに思ったものだった。

 

ところが、『偉大なる道』では朱徳も祖父や父や自分の輩字を名前に関する必要な情報として語っている。

具体的には朱徳の長兄の名前はタイ・リーで、次兄はタイ・フォンそして朱徳はタイ・チェンで、タイが輩字で従兄弟たちも同じようにタイがつくはずだ。

どういう漢字かは説明されていないが、優雅な意味が付与されているのだろう。

ただ朱徳の家は貧農で、字が読めた人は一族にいなかったので、この輩字の情報は音と意味だけで伝承されてきたことになる。

 

何代にもわたって重労働の農作業を繰り返してきて、誰ひとり文字も読めなかった朱徳の一族にも先祖代々輩字が伝わっていることが意外だった。

朱徳の家は客家で、原籍は広東省であり、さらにさかのぼると黄河流域あたりから集団移動してきたことがわかっている。

韓国での行列字と朱徳の家に伝わった輩字は同じ源流と考えていいのではないか。

 

日本ではどうだろうか。

個人的な見識では、こういう慣習は日本にはまったくない。
男系の血縁集団を表す姓と家の名前になる苗字との違いも関連してるのかな。

他の東アジアのように姓が一般に普及しなかったのが不思議だし、このことは日本の独自性のひとつだと思う。

日本では両親のどちらかの名前の一文字を子につけることはよく目にするし、そうしたい気持ちもわかる。

 

現在の中国では輩字を使用する慣習はどの程度残されているのかな。

『偉大なる道』に書かれているように、封建社会を一変させる大嵐のような出来事がすべてをひっくり返したことになっている。

朱徳も息子の名前を名付けるときまったく輩字から自由だったように読み取れた。

 

北朝鮮についてはよくわからないが、金日成金正日金正恩の三代の名前を並べれば行列字から自由になっているように見える。

繰り返しになるが、韓国ではまだこの行列字を保持する集団は存在するはず。

少子化、男女同権意識、キリスト教思想の普及などの外因で薄れてきてはいると思うが、社会の根底から払拭しようという動機がなかったからだと思う。

ただ、決して悪いものではないし、個人的にはいわゆるキラキラネームよりははるかにいいものだと考えている。

 

別に行列字があっても不都合はないし、一族にあっては優雅で誇り高い気分をもたらしてくれるものだが、女性は排除されているので、遅かれ早かれ時代の遺物になっていくことは間違いない。

おそらく発祥の地であった中国ではほとんど廃れたものが、韓国社会ではまだ生きているという構造になっているように感じる。

一度中国の識者にこのあたりのことをぜひ聞いてみたい。

 

それと、建国前の中国では、姓は男系を表しているので神聖なもので不変だが、名前に関してはそうではないようだ。

日本でも幼少名とか字(あざな)とかひと昔前にはあったように。

幼い時の名前とは別に、学校に入学したときとか科挙に合格したときなど、人生の節目に心機一転を期して名前を変えてきたような記述が目に付く。
日本でいう戸籍名のような「本当の名前」という意識はあったのかな? 
実際、朱徳という名前も軍官学校に入学したときに自分でつけた名前だ!

科挙に合格したときは恩師につけてもらっている。

 

孫文孫逸仙とか孫中山とかいろいろあって、調べものをするときはややこしい。

 

そういう伝統があるから、香港を始め、中国の都市部に住む若者が西洋の名前も持つことが多いし抵抗もないのかな。

日本でいうニックネームやネット上のハンドルネームとは違う独特の格式を持っている感じが

する。

アグネス、ジャッキー、テレサ、ブルースなどなど。

 

見識不足で断定できないが、こういう節目に名前を変えることも封建社会の名残なので、現代の中国にはないと思っている。

韓国にもないと思う。

過去を清算したいという動機以外、現代社会で名前を変えることに利点はないと思う。

 

でも、ひょっとしたら、生涯にわたって本名は一字たりとも不変と捉えていることは世界的には少数かも知れないとも思ったりしている。

混乱してきた。

 

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