Out of Far East

東アジアの文化歴史の個人的覚書

『偉大なる道』にまつわる人物いろいろ

この本には敵味方いろいろな歴史上の人物も登場してくるので、読んでいて興味がつきない。

朱徳が対峙してきたのは地主などの特権階級からはじまって、清朝西太后袁世凱蒋介石とその周辺の軍人政治家たち、外国の帝国主義者たち。


朱徳が語っているように、国が外国に侵略されるときは必ず自国内に買収された協力者がいて、彼らの存在は中国固有の問題ではない。

ただ、中国は領土も人口も桁違いに大きいので、その分反逆者の数は多いし、殺された民衆や知識人、将兵たちの血も川のように流れてきたという。

 

一方で、封建的な制度のもとで圧迫されてきた民衆を解放するために、また外国に侵略されようとする国を救うために、同じ志のもとに集まってきた若者たちは、反逆者の数に劣らないほど多く存在したことに感動する。

こういう人物たちの友情がこの本の魅力だ。

 

朱徳を軸にした展開なので、毛沢東周恩来をはじめとする著名な指導者たちは脇役になって登場する。

よく知られているように、彼らひとりひとりも一冊の本になるぐらい波乱万丈の半生をおくってきた。

反逆者も多いけれど、その真逆の立場に立った人物も数多く存在することが、中国らしいスケールの大きさと層の厚さを感じる。

現代も傾向は同じだと思う。

 

印象に残っている人たちを振り返ってみると……。

 

朱徳の母親

旅芸人の娘として生まれ、農婦として死ぬまで働き続けた女性。
80歳ぐらいまで長生きをしたので、自分の生んだ息子の名前を人々が敬愛をこめて口にするのは知っていたはず。
朱徳とは長く会えなかったけれど、革命事業の話を聞いていて応援していたらしい。

 

朱徳の養父

貧農の三男だった朱徳が教育を受ける機会を得たのは、叔父である養父の野心からだった。

 

機織りじいさん

朱徳の家に毎年定期的に機織りの賃仕事をするために来た職人。
実は、太平天国の乱で有名な首領石達開の配下の生き残りの兵士でもあった。
太平天国の乱や国内外の政治情勢のことなど、外部の世界の情報を朱徳の家に伝えるという役割をになってきたことになる。

 

シ先生

朱徳が弟子入りした家塾の老先生。
科挙には合格していなかったが、それ相当の尊敬を周囲から受けていた人で、朱徳はこの先生のもとで科挙の準備をした。
朱徳はここで洋学信者になり、国の将来を考えるきっかけになる薫陶を受けてきた。

 

蔡鍔(さいがく)将軍

この本を読むまでこの人の名前は知らなかった。
スメドレーは、この人がいなかったら歴史は違った展開になっていただろうと語っていた。

雲南軍官学校の教員で、朱徳よりわずか4つ年上。
年少の頃から梁啓超の弟子で、日本の士官学校で学んだ人。

辛亥革命での功労者の一人だったが、30代で結核のために革命途上で亡くなる。

青年時代の朱徳の師であり、親友でもあった。

 

孫逸仙孫文

朱徳はフランス留学の前に上海で会見している。
孫逸仙に実際に会えた人は珍しい。
第一次国共合作は、その会見での朱徳の助言も何らかの影響を与えたような感じがする。

 

周恩来

ドイツのベルリンで会い共産党に入党する。
この本では少ししか登場しないが、ハン・スーインが建国後聞き取りをした周恩来の半生記『長兄』には、逆に朱徳は少ししか登場しない。
中国革命の裾野の広さと奥行を感じる。

 

陳毅

朱徳の配下にいた指揮官で、長征には参加せず残された部隊をまとめた人。
代々学者を輩出する家柄の出身。
敵側の学生部隊を「奴隷なるよりも今中国で怖いことがあるだろうか」という内容で説得して、味方に引き入れた。

この人の半生も1冊の本になるだろう。

朱徳、鄧小平、ハン・スーインと同じように四川省の出身。

 

賀竜

貧農出身で文盲だったけれど、農民パルチザンを指導した中国革命の功労者の一人。
この人の名前を聞いただけで、地主は荷物をまとめてさっと逃げたという伝説ができたらしいが、仲間うちではおもしろい人物だったようだ。
残された写真はみな愛嬌たっぷりの顔をしている。

ページにこの人の名前が出てくると、ワクワクしていた。

この人物の信頼できる伝記の類を読みたかった。

 

彭徳懐

この人は軍人としては朱徳につぐ功労者だったと思う。
敵側に追われて避難した時、部隊を率いて毛沢東朱徳を探したが、見つからなかったのでもう死んだと思い、自分が紅軍を作るぐらいの気概を持っていた。

詳しい事情はわからないが、建国後の文化大革命中に、牢獄で非情な扱いを受けて亡くなった。
検索すればひどい写真も出てきて、この本で彼の功労を評価する者としてはつらい。
名誉回復を受けているらしいが、中国の激動の政治の怖さを知る。

 

呉玉蘭

朱徳の3番目の夫人。婦人作家で集会で演説することもあり、彼が一番惚れていたような感じがする。
敵側との戦いの中でつかまり、拷問を受けて、見せしめのために故郷の町でさらし首にされている。
このように身内が敵に殺される体験は、紅軍の指導者や兵士の多くがもっている。

 

毛沢東

蔡鍔将軍とのつらい別れのシーンを知っているので、信頼できる同じ農民出身の毛と出会えたときの朱徳の歓びはわかる気がする。

作家ハン・スーインは周恩来同様に毛沢東の伝記も書いているが、後年毛沢東への評価が変わり後悔していたらしい。

私は建国後の大躍進とか文化大革命については詳しく知らないので、歳をとった毛沢東に何かあったぐらいで思考が止まっている。

不謹慎であることは承知しているが、大躍進などの前にもし病気で亡くなっていたらどうなっていたかなと考えたりする。

評価は高止まりだったのに。

ただし、建国までの毛沢東の強い指導力と革命の最中に培ってきた知性には感服している。

 

康克清

朱徳の最後の夫人。
自ら決心して紅軍に参加するまで文盲で、地主の畑で農業労働をしていた女性なのだが、残された写真を見ると、地味で丈夫な身体の持ち主だったことがわかる。

朱徳との結婚話は、歳の差以前に身分違いという理由で最初は断わったらしい。

長征にも参加した数少ない女性の一人だが、彼女自身は長征中にさほど苦労したという話はしなかった。

もうひとり同年齢の女性がいて、行軍中は彼女とのおしゃべりも楽しかったらしい。
歩けないほど疲労しきった兵士の銃を替わりにかついで、歩いた時もあった。

強者だ。

周恩来夫人は病気のときには、担架で運ばれて長征を乗り切ったことを考えると、朱徳は、若くて、自分と同じような頑丈な身体を持つ行動力のある女性をうまく選んだなと思う。

晩年のこの女性と面識があったハン・スーインは、すばらしい女性と評価していて、西洋社会であまり紹介されていないことを残念がっていた。

私もこの女性に興味がありネットで調べたが、中国語なのでかろうじて伝記が出版されたぐらいしかわからない。

 

蒋介石

朱徳とほぼ同年齢で、ずっと憎き敵として互いに意識し合ってきた感じがする。
ねばり強いというかアクが強いというか、どれだけ民衆を圧迫してきたか。
共産主義を潔癖なほど嫌い、完全に排除するまでなんでもした感じがする。

社交家で、英語がネイティヴのように話せて、資産家の娘でもある宋美齡と結婚したのが、見事な戦略だったと思う。

孫逸仙夫人宋慶齡は、妹と結婚したからまだあの程度ですんでいると語るほどの問題ありの人物だった。

太平洋戦争は自分が仕掛けたようなことを発言しているところが衝撃だった。
確かに蒋介石にとって、太平洋戦争は好都合だったように思える。


あと孫炳文、袁世凱林彪、劉伯承、宋慶齡、彭湃、葉挺などまだまだいる。
中国の建国苦労話に登場する人物たちは、敵も味方も多彩だ。

 

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