Out of Far East

東アジアの文化歴史の個人的覚書

祖父の渡日事情ー労働者募集

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国東半島の夕日


なぜ祖父が昭和初期(1920年代)宗主国であった日本に来たのかは、歴史に興味がある私にとっても、国東半島のいなか町で10代の青年になった父にとっても関心事であった。
私が知りえた情報で少しずつ検証してみようと思う。

「労働者の募集があって、じゃあ行ってみようかと思った」
という内容の祖父の語りを父から聞いている。
生活の破綻に後押しされて、多少の不安もあるが、このままでは生きていけないということだろうか。

この労働者の募集のために山間部まで来た手配師朝鮮半島出身者のはず。多数の一世の男子が渡日する以前にこういう仕事をする人材がいたということになる。この手配師から労働条件や連絡船の乗り方やどこに行けばいいのかという情報をもらったのだろう。
明日への展望を持たせる内容だったので、渡日後「話しと違うやないか」「聞いていたのとは違う」という感情を持つ場合は少なくなかったと想像する。 
日韓併合初期の一世の男子の渡日事情はみな似ているが、この手配師を具体的に語る人は少なかったという印象がある。そのせいか、私はずっとこの手配師を日本人とイメージしていた。

人を集めるには土地勘と巧みな言葉が必要だ。

祖父は自分より少し若い一族の青年と、お互いの若い配偶者はそのまま故郷(慶尚南道陜川郡)に置いて出稼ぎに出ることにした。
祖父は植民地行政の一環として実施された土地調査事業によって、それまでのライフスタイルが維持できなくなっている家の現実を複雑な思いで見ていた。

いわゆる多感な青年期の頃だった。

ではそれまでのライフスタイルがいいものだったかといえば、3代目の私から見れば遅かれ早かれ変化を求められていた時代だったとも思える。

祖母は1925年生まれになる父を妊娠していた。
祖父は土地を離れやすい次男だった。
父は解放後、日本の村役場に当たる故郷の面事務所で家の戸籍を初めて見て、自分の一つ上に兄がいて乳飲み子のまま亡くなっている事実を知った。この件は韓国にいる叔父も知っていた。

父は自分が生まれたため、乳を奪うことになり、離乳食と呼べるものが何もない時代、栄養失調か消化不良で亡くなったのだろうと推測していた。祖母は父を妊娠した時点で母乳は出なくなったはずだから、先に生まれた子の生きにくさはもっと早くに始まっていたことになる。

あの当時の儒教の影響が強い朝鮮半島の農村部で長男を亡くすということは、今よりももっと大きなダメージを夫婦に与えていただろうと想像する。

昔の女性の出産数には驚かされる。祖母は8人生み、父を含めた7人の子を育てたが、父とすぐ下の弟との年齢差は6歳。その後は2、3年おきに生まれている。長男と次男の6年の年齢差は、夫婦がある期間別れて生活していたという事情を物語っている。

そして祖母は父以外の子を全て日本で出産している。

こういう記録をまとめるたびに、この事実に圧倒されてきた。