Out of Far East

東アジアの文化歴史の個人的覚書

映画『尼僧物語』と父の葛藤

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ベルギーの街並み


オードリー・ヘップバーン主演の映画『尼僧物語』は、1959年製作のフレッド・ジンネマン監督による古いアメリカ映画。
1920年代のベルギーが舞台で、カトリックの宗教行為に従事する人間の内面の闘いを終始描き、最終的には「祈りの生活」から「具体的な行動」を選択していくのだが、そこにたどりつくまでの葛藤の連続が描かれる。

ちょっと暗い映画ではあったが、生き方を考えさせてもくれる。

オードリー・ヘップバーンといえば、華やかなファッションに身を包んで登場し恋をするヒロイン役が多かったことを思えば、ほとんど修道女の服で通したこの映画はとても地味な作品だと思う。
それだけにこの女優の顔立ちの美しさが映えたし、顔の表情を基本にした演技力も際立つ。
後年の人生におけるアフリカへの関わりはこの映画の影響ではないかともいわれている。

原作はキャサリン・ヒュームという女性作家。
最初はご自分の体験談かなと思ったのだが、そうではなくて、実際のベルギー人の還俗した尼僧の体験を聞き取りして書いた小説とのこと。
原作は日本では絶版になっているが、映画よりももっと背景がわかるらしい。

 

医師の娘であるヒロインは、恋人とも別れて厳しい修行を積んで、最終的にはベルギー領コンゴに看護婦として派遣されることを望む。

やがてコンゴで看護の奉仕をする中、結核にかかる。

ここで彼女の働きを評価する医師から献身的な治療を受けて復帰する。
さらにこの医師からからかい半分に「今まで見てきた修道女と違う、この世界に向いていない」と指摘され、ひそかに心乱れる。
この映画には「恋の駆け引き」は一切ないけれど、このあたりのシーンがそれに近いものを連想させてくれる。

で、ベルギーに戻ってきて、しばらく医療施設で働いていたときにパルチザンの関係者でもある若い女性と接触するシーンも画かれる。

「あなたはこういう働き場で求められる人材ですよ」という感じで。
やがてベルギーもドイツ軍に占領され、なおかつ父親を殺されてしまう。

ヒロインの内面は一層揺さぶられる。
ついに修道院を出て、パルチザンと連絡をとるだろうなと思わせるシーンで終わっていく。


この映画も原作もカトリックへの批判がテーマではないが、問題提起と解釈できそうな雰囲気はある。

出版されたときは話題になったらしい。

この映画を振り返ると、誰の人生も、ある時期からは「葛藤を経て、自分で選択する」という行為のくり返しであることに気づく。
葛藤→選択→解釈→新たな葛藤→選択→解釈→さらに新たな葛藤……という感じ

 

話は変わるが、この映画は洋画好きの父親が特に好きな映画でもあった。
今のようにテレビで放映されたものを録画する方法がまったくなかった昭和の時代。
夜中によく洋画が放映されていて、見たいときはその時間帯まで起きて観るしかなかった。

父もみなが寝静まった夜中に一人起きて観ていた。

 

父は戦中の後半は朝鮮半島南部の山間部の面事務所に籍を置いて働いていたが、このポジションは「親日派」と呼ばれていた。

仕事自体は戦場から遠く離れた農村で、農業指導するというのんびりしたものだったらしい。
朝鮮半島は空襲もなかったし、ぜいたく品はなかったかもしれないが、飢えることもなく徴兵免除も受けていて恵まれていた。

 

この当時は内地日本と同様、アカの思想や反日イデオロギーの弾圧は厳しくて、そのような活動は表だってできないので、「地下」に潜っていた。

父は数回程度ではなくて何回も「地下」活動している人が接触してきて「自分たちの仲間に」と誘われていたらしい。

まだ若いのにこんな日帝の協力者のような仕事ではなくて、われわれといっしょに」という感じだろうか。

このとき初めて「キムイルソン」という名まえを聞いたらしい。

果たしてこの時のキムイルソンはいくつだったのかと思う。

「キムイルソン将軍ががんばってるから」と自分たちの活動に参加するように説得もされたと。

父は精神的な苦痛を感じながら仕事をしていたので、それなりの葛藤はあったと思う。

「何度も何度も誘われた」と。

夜遅く仕事帰りに山道を歩いていた時に、暗闇の中から人が突然出てくる恐怖を語る思い出話も記憶に残っている。

詳しく聞いていないが、その誘いと何らかの関連があったのじゃないかなと想像する。

 

父が「地下」活動に加わらなかった理由を私なりに整理すると以下になる。

① 両親や弟妹が内地日本にいた。

② いわゆるアカの思想なんて知らなかったし、まったく興味関心もなかったし、どちらかといえば、情で動くタイプの人間だった。

自分でも政治的なことには疎かったと語っていた。

③ 戦中末期、徴兵検査を受けたときに「尼僧物語」の主人公のように結核を宣告されていた。たまに血痰を吐くぐらいで通常の生活を送っていたが、周囲からはもうすぐ死ぬ人間と思われていた。

その割にはかなり長生きをした人だ。


④ Koreanについては何となく何を話しているかは聞きとれたが、まったく話せなかった。Koreanができない人間が朝鮮半島での「地下」活動なんてできるはずがないし、そのことで疎外感もあったと思われる。

というわけで、朝鮮半島の山間部の面事務所で働く「親日派」の末端として8月15日を迎えた。

「孤児になった」と思ったらしい。

とにかく多くの民衆と同じように、父にとっても新たな苦悩の始まりだった。

 

しかし、その日父が偶然朝鮮半島にいたことことは、大分県終戦を迎えた家族が帰国を考えた遠因の一つにもなった。